臨床心理士のうたたね日記2017

臨床心理士です。日々のカウンセリングや日常で気づいたことを綴っています。

不登校だったあなたにフォローの面接してみた

5年前4年間学校に行けなかったあなたに

顔を会せることができないまま、玄関のドア越しに何度も話したあなたに

5年ぶりに今どうしてるだろうかと思い切って電話した


「お久しぶりです。元気ですか?調子どうですか?」

電話口のあなたはしっかりとした口調で

元気で大学行ってる!びっくりした!うれしくて涙が出そうになった

おたがい遠慮しがちだったけど

どこの大学とか何専攻してるとかたくさん話した


5年前は「元気?」「うん」


「眠れてる?」「うん」だけの会話の繰り返しだけだった

玄関のドア越しに私の心臓にあなたの緊張がバンバン伝わってきて

近所の手前周りを気にしながら長話もできず、

今日初めてあなたと長話した


すっかりおねえさんではきはきしていてきらきらまぶしいあなたがいた

人って前へ進むんだって思えてうれしかった日




(このケースの内容はいくつものケースから私が想像の翼を広げて書いています)

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ハラスメントにあった私

 

それは「間違ってるよ」という上司の言葉に私は自分のできないところを一生懸命改めてきました

それは「君のせいだよ」という上司の言葉に、私はとても責任を感じて、一生懸命仕事のやり方を見直してきました

それが次第に繰り返されるうちにもっと頑張らなければ、もっと頑張らなけれなと勤務以外も勉強しました

でもあるとき「この部署の業績が上がらないのは君のせいだよ」と言われたとき

私の何かがぷつんと切れました

涙が止まらなくなりました

自分は役に立たない人間だと思いました

でも、これまで頑張ったから、頑張ったから...

上司にそれはおかしいと一生懸命言いました

でも、何一つ認められませんでした

 


私は今労働基準監督署にいます

みんな話して相談して、自分の仕事のリセット、心のリセットをしようと思っています

それがきっと私の新しいスタートになると信じています


きっと、大丈夫 

応援してくれる人たちがいるから...

 

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私の願い

いじめに遭った子どもは

自分には価値がないと思います

再びいじめにあわないように嫉妬を浴びないように

小さくなって小さくなって自分の存在がないかのように

あり続けます

 

ハラスメントに遭った貴方は

怒りや憎しみを持ちながらも

自分は仕事のできない人間だ

自分なんか社会の役に立たずだ

どこかで申し訳ないと自分なんかどうせと思いながら

日陰の道を歩き続けます

 

ブラック企業に勤めた貴方は

疲れきった身体でこわれた心を癒すこともできずに

会社に対する疑問と怒りをもちながらも

自分がやっぱりいたらなかったのではないか

能力がなかったのではないかと自責の念にいつもつきまとわれます

不眠に悩み、ときにものすごい恐怖と不安に襲われながら

フラッシュバックに悩まされ続けます

 

災害にあった貴方は

恐怖を味わい

大事な人を失い、うちを失い、財産を失い、

打ちのめされ、絶望を味わい

無力感に支配され

立ち直るすべがわからず

涙を流し続けます

 

そして時に死を選ぶ人もいます

 

だから、貴方が急性ストレス障害ややPTSDなるような痛手を負うことがないこと、こころの傷を深く負うことがない世の中であることが私の願いなのです

 

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安心

が安心すると

ほっとすると

しばられていた心がゆるっとしてきて

でも、時に突っ張ったり

少し理屈言ってみたり

少し支離滅裂でも

我慢せずに自由にしゃべることができます


それって、ヒトへの安心感だと思います

安心感はおなかの真ん中の中心から少しずつあったまってきて

身体全体に広がっていきます


そして、あなたは安心して深い眠りに落ちるのです


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私の感情と他人の感情の境界

お久しぶりです。

相談者さんや自分のことや自分の周りの人のことを考えながら、こういうパターンがあるかなと思って書いてみました。台風の風まだ強いですね。早く静まるといいですね。




私は私でありたいのに

自分の中に家族や他人の気持ちがなだれこんできます

それが他人の気持ちとわからずに

堂々巡りで変わらない感情の渦の中で私はアップアップしておぼれてしまいそうになります

何も解決しない

その繰り返しの中でとてもとても疲れます


でも、もしかしたら、それは私自身の気持ちでないんでないか、周りの気持ちかも?と気づいたとき

自分と他人の境界を頑張って何度も作ろうとしたとき

心の世界は少し変わりました

自分の中で苦しい辛い怖い感情と思っていたものがさっとひいていきました どこかに逃げていきました

本当の持ち主に戻っていったみたいでした

私が私になるってこんなことなんだってやっとわかった


まだ日々、外の他人の感情は私の中に入り込んできます

そのたびに気が付いて

どうして周囲からきたか考えて

自分のものでないことを繰り返し自分に言い聞かせ

それを繰り返しやってみたら

心はだんだん静かになり

他人の気持ちは私の中に居場所を作ることが少なくなってきました

静かな静かな心の世界が

待っていそうです

人の気持ちが容易に入り込まないしっかりとした境界をもった自分が立っていそうです

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私の恋愛論

ここのアクセスがもう5人いかないくらいになってきた。だからってあんまり無責任なこと書いてはダメだと思うけれど、かなり気楽に書かさせていただいています。久々の更新です。

私の相談者は彼、彼女を作る前の段階で、社会適応の段階で悩んでいることが多くて恋愛相談が少ない。私自身も結婚しているからそういうこととは距離がある。でも、この何年か相談者がだんだん育ってくると恋愛相談よくわかりませんって言えなくなってきた。

恋愛ブログ読んだり、ネット上の恋愛観察したり、伊藤明の恋愛依存症読んだり、LOVE理論読んだりしています。

私がこれだと思ったのは「恋愛依存症」の中で

「私が『愛』と呼んでいるものは、恋愛や性愛のみを指すのではない。「あるがままの自分」異性とは限らない)他者全般」「今生きているこの世界」の三つを受け入れる気持ちのことである。

なぜ、それが重要なのか。それは愛を「異性間で交わされる刺激的・情熱的な恋愛感情やセックス」というごくごく狭い視点でしかとらえられなくなっとき愛をめぐる心の病が始まるからである。

愛はあなたに幸福をもたらしているだろうか?それとも苦悩をもたらしているだろうか?」

という一文に出会ってから答えが出てきました。これは恋愛関係で悩んでいる相談者さんを見ていると真実だと思う。心の病はこの観点があるとかなり防げる。

私が恋愛ハウツー本や恋愛心理ブログを少しかじるだけの段階で意見を言わせてもらうと多くの恋愛ハウツー本は「異性間で交わされる刺激的・情熱的な恋愛感情やセックス」へのハウツーを扱い、それでへーという感じで面白いのだけれど、それ以上の愛とか将来に向かっての幸せという観点が抜け、これでは男性がもてたい都合の良い恋愛論ばかりじゃないかと思うことがよくある。「LOVE理論」でそれは強く感じた。多くの男性は支持しているらしいが、女子何人かの読んでもらうと気持ち悪くて最後まで読めない人がほとんどだった。

女性から見るとそれで、恋愛本書く人自体は大きな人間愛をもってる可能性もあるだろうにそれを多分取り扱わないために記事自体が魅力的でなくなっていくような気がしないでもない。反対に心理カウンセラーの書く恋愛心理ブログは固すぎてこれ本当に恋愛の実践に役に立つのかな?と疑問に思うものも少なくない。(いけない。NAさんのは時々心にヒットします。)

 

ネット上の恋愛見てても、恋愛とか性愛も含めてプラス人間愛がある恋のほうが人として魅力的に見えるし、大きいなあと思う。

若い人にとっては「刺激的・情熱的な恋愛感情やセックス」が魅力的というのもわかるけれど、多くの女子はそれだけを望んでいるわけでなく、自分をどれだけ大事にしてくれるとか、人間としての信頼とか信用とか、人として安心できるかとか、人間愛に通じるものを求めていること、見ていることは確かだと思う。

 

男性も女性もめっきのはがれない本当にもてることをねらってほしいなと思う。それは私の周りの相談者も含め、「もてたい」と思う男性たちが本当はとても人間的魅力ももち、性別問わず愛情を注ぐことができる素敵な男性だということも知っているから。

私のブログを自由に書きたい

私のブログはメインのブログは、趣味のことも扱いながら、カウンセリングのこと、労働条件の問題、セクハラの問題などを扱っています。自分でいうのも何ですが人の役に立っているブログだと思います。このブログは、心理のメモ的なもの、誰かに何かを伝えたいときに利用しています。

あるときから、何人からか私のブログに色合わせが行われるようになりました。日常でこんなやり方皆さんご存知でしょうか?よく男性が持ちいると思うのですが、ナンパしたい女性がいるときにその人の好きだと思う色、洋服などに合わせてみること。それは、チャラい男性でも真面目な男性でも使うことがありますね。関心を言葉でなく伝えるために。

それと同じようなことが私のブログに対してアイコンに対して行われるようになりました。例えば黄色い花束の写真を載せれば、黄色。赤のアイコンを載せれば赤。そんなにわかりやすくないですけどね。私はその人たちのブログの2年以上前からのファンなので次第にきがつくようになりましたが、「ずっと気のせい気のせいうそでしょ」としてきました。自分の認知が間違っているのか毎日確かめました。でもそれが365日行われれば、鈍い私でも気がつきます。そして、相手への気持ちがない感じを受けるのかな?特に恋愛感情はないから仕方ないんですけどね。気のない感じが出るとディスられました。表現する手段が色なのでサインなのでよくわからないことばかり。

言葉でもブログでもDMでもやめてほしいとお願いしました。しかし、それを止めることはしてくれませんでした。それで、このブログはいろいろな色のあるテンプレートとなり、アイコンの色はドンドン変え、その中の一人の大切にしている人の色にしているわけです。もう一方のブログではアイコンさえ使えません。

こうして書くのはその人たちに私に色を自由に使わせてほしいからです。

でも赤いバラが載せたいときは載せたい。ミドリのブーケが載せたいときはそれを載せたい。古くて内容はよくわかりませんが、その人たちのやっていることは、特定の色を使わせないためのレッドパージにも見えることもあります。今は特に色を使わなくてもやっていけますが、なぜそういうことをされなくてはならないのか私には全くわかりません。特に意地悪なことをした覚えもありません。

できるだけ、早く、自由にブログが書けることを願っています。